2005年12月24日

曽我は敵討(かたきうち)で

敵を討てば人死のあることを免れない。況(いわん)や鴎外漁史は一の抽象人物で、その死んだのは、児童の玩(もてあそ)んでいた泥孩(つちにんぎょう)が毀(こわ)れたに殊ならぬのだ。予は人の葬を送って墓穴に臨んだ時、遺族の少年男女の優しい手が、浄(きよ)い赭土(あかつち)をぼろぼろと穴の中に翻(こぼ)すのを見て、地下の客がいかにも軟(やわらか)な暖な感を作すであろうと思ったことがある。鴎外の墓穴には沙礫(されき)乱下したのを見る外、ほとんど軟い土を投じたのを見なかった。ただ一ついくらか手軟だと思ったのは、ほととぎすの記者が、鴎外も最早今まで我等に与えた程のものをば与うることを得ぬであろうと云ったくらいなものだ。ついでだから話すが、今の文壇というものは、鴎外陣亡(うちじに)の後に立ったものであって、前から名の聞こえて居た人の、猶(なお)その間に雑(まじ)って活動しているのは、ほとんど彼ほととぎすの子規のみであろう。ある人がかつて俳諧(はいかい)は普遍の徳があるとか云ったが、子規の一派の永く活動しているのは、この普遍の徳にでも基(もとづ)いて居るものであろう。予が主筆のために説かんと約した鴎外漁史の事は此(ここ)に終る。しかし予は主筆に、予をして猶暫(しばら)く語らしめん事を願う。想うにこの文を読むものは予に対(むか)って、汝は汝の分身たる鴎外の死んだのを見て、奈何(いかん)の観を作(な)すかと問うであろう。予はただ笑止に思うに過ぎぬ。予はただここに一(いっしゅ)の香を拈(ひね)ってこれを弔するに過ぎぬ。予にしてもし彼の偽の幸福のために、別方面の種々の事業の阻礙(そがい)をさえ忘るるものであったなら、予は我分身と与(とも)に情死したであろう。そうして今の読者に語るものは幽霊であろう。
仙台風俗
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2005年12月23日

その弟子が窃(ぬす)み聴いてその咒を記(おぼ)えて

道士の留守を伺(うかご)うて鬼を喚(よ)んだ。鬼は現われて水を灑(ま)き始めた。而(しか)るに弟子は召(よ)ぶを知って逐(お)うを知らぬので、満屋皆水なるに至って周章措(お)く所を知らなかったということがある。当時の新聞雑誌はこの弟子であった。予はこれを語るにつけても、主筆猪股君がこの原稿に接して、早く既に同じ周章をせねば好いがと懸念する。予の公衆に語る習はこれにも屈せず、予は終(つい)に人の己を席に延くを待たぬようになった。自ら席を設けて公衆に語るようになった。柵草紙(しがらみそうし)と云ったのがその席だ。この柵草紙の盛時が、即ち鴎外という名の、毀誉褒貶(きよほうへん)の旋風(つむじかぜ)に翻弄(ほんろう)せられて、予に実に副(かな)わざる偽(いつわり)の幸福を贈り、予に学界官途の不信任を与えた時である。その頃露伴が予に謂(い)うには、君は好んで人と議論を闘わして、ほとんど百戦百勝という有様であるが、善く泅(およ)ぐものは水に溺(おぼ)れ、善く騎(の)るものは馬より墜(お)つる訣(わけ)で、早晩(いつか)一の大議論家が出て、君をして一敗地に塗(まみ)れしむるであろうと云った。この言はある意味より見れば、確に当った、否当り過ぎた位だ。時代は啻(ただ)に一つの大議論家を出したのみではなくて、ほとんど無数の大議論家を出して止(や)む時がない。即ち新文学士の諸先生がそれである。試みに帝大文学の初の数十冊を始として、同時に出た博文館の太陽以下の諸雑誌、東京の諸新聞を見たならば、鴎外と云う名に幾条の箭(や)が中(あた)っているかが知れるだろう。鴎外という名はこの乱軍の間に聞こえなくなった。鴎外漁史はここに死んだ。読者は新年の初刊を看(み)てここに至る時、縁起が悪いと云うかも知れない。しかし初春の狂言には曽我(そが)を演ずるを吉例としてある。
東京風俗
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2005年12月22日

然るに主筆はまた突如として来られて

しかもその過去の文壇の一分子たりし鴎外漁史の事である。原(も)と主筆が予に文壇の評を求められるのは、予がかつて鴎外の名を以て文学の事を談じたという宿因あるが故だ。ここに書くところは即ち予の懺悔(ざんげ)で、彼宿因を了する所以(ゆえん)だ。人は社会を成す動物だ。樵夫(きこり)は樵夫と相交って相語る。漁夫は漁夫と相交って相語る。予は読書癖があるので、文を好む友を獲て共に語るのを楽(たのしみ)にして居た。然るに国民之友の主筆徳富猪一郎君が予の語る所を公衆に紹介しようと思い立たれて、丁度今猪股君が予に要求せられる通りに要求せられた。これが予が個人と語ることから、公衆と語ることに転じた始で、所謂(いわゆる)鴎外漁史はここに生れた。それから東京の新聞雑誌が、彼も此も予を延(ひ)いて語らしめた。予は個人に対しても、時に応じ人を得るときは、頗(すこぶ)る饒舌(しゃべ)る性(たち)であるが、当時予はまた公衆に対して饒舌った。新聞雑誌は初は予を強要して語らしめたが、後にはそう大言壮語せられては困るとか云って、予の饒舌るに辟易(へきえき)した。昔者(むかしは)道士があって、咒(じゅ)を称(とな)え鬼を役して灑掃(さいそう)せしめたそうだ。
熟女風俗
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2005年12月21日

その外帝国文学という方面には

堂々たる東京帝国大学の威を借って、血気壮な若武者達が、その数幾千万ということを知らず、入り代り立ち代り、壇に登って伎(ぎ)を演じて居るようだ。これが即(すなわ)ち文壇だ。この文壇の人々と予とは、あるいは全く接触点を闕(か)いでいる、あるいは些(いささか)の触接点があるとしても、ただ行路の人が彼往き我来る間に、忽(たちま)ち相顧みてまた忽ち相忘るるが如きに過ぎない。我は彼に求むる所がなく、彼もまた我に求むる所がない。縦(たと)いまた樗牛と予との如く、ある関係が有っても、それは言うに足らぬ事であって、今これを人に告ぐる必要を見ない。かように今の文壇の思想の圏外に予は立っていて、予の思想の圏外に今の文壇は立っている。福岡日日新聞が予に文壇の評を書けと曰うのは、我筆舌に課するに我思想の圏外の事を以てするのだ。予には文壇の評と云うものの書けぬことは、これで明(あきらか)であろう。そこで予は切角の請ながら、この事をば念頭に留(とど)めなかった。
神戸風俗
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2005年12月18日

予が久しく鴎外漁史という文字を署したことがなくて

福岡日日新聞社員にこれを拈出(ねんしゅつ)せられて一驚を喫したのもこれがためである。然(しか)るに昨年の暮に(およ)んで、一社員はまた予をおとずれて、この新年の新刊のために何か書けと曰(い)うた。その時の話に、敢(あえ)て注文するではないが、今の文壇の評を書いてくれたなら、最も嬉(うれ)しかろうと云うことであった。何か書けが既に重荷であるに、文壇の事を書けはいよいよむずかしい。新聞に従事して居る程の人は固(もと)より知って居られるであろうが、今の分業の世の中では、批評というものは一の職業であって、能評の功を成就せんと欲するには、始終その所評の境界に接して居ねばならぬ、否身をその境界に置いて居ねばならぬものだ。文壇とは何であるか。今国内に現行している文章の作者がこれを形(かたちづく)って居るのであろう。予の居る所の地は、縦令(たとい)予が同情を九州に寄することがいかに深からんも、西僻(せいへき)の陬邑(すうゆう)には違あるまい。予は僅に二三の京阪の新聞紙を読んで、国の中枢の崇重(しゅうちょう)しもてはやす所の文章の何人の手に成るかを窺(うかが)い知るに過ぎぬので、譬(たと)えば簾(れん)を隔てて美人を見るが如くである。新聞紙の伝うる所に依れば、先ず博文館の太陽が中天に君臨して、樗牛(ちょぎゅう)が海内文学の柄を把(と)って居る。文士の恒(つね)の言(こと)に、樗牛は我に問題を与うるものだと云って、嘖々乎(さくさくこ)として称して已(や)まないらしい。樗牛また矜高(きょうこう)自ら持して、我が説く所は美学上の創見なりなどと曰って居る。さてその前後左右に綺羅星(きらぼし)の如くに居並んでいる人々は、遠目の事ゆえ善くは見えぬが、春陽堂の新小説の宙外、日就社の読売新聞の抱月などという際立った性格のある頭が、肱(ひじ)を張って控えて居るだけは明かに見える。此等は随分博文館の天下をも争いかねぬ面魂(つらだましい)であるから、樗牛も油断することは出来まい。
北陸風俗
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2005年12月17日

これは筆を執る人の間で唱えたのであるが、

世間のものもそれに応じて、漫(みだ)りに予を諸才子の中に算えるようになって居た。姑(しばら)く今数えた人の上だけを言って見ように、いずれも皆文を以て業として居る人々であって、僅(わずか)に四迷が官吏になって居り、逍遥が学校の教員をして居る位が格外であった。独り予は医者で、しかも軍医である。そこで世間で我虚名を伝うると与(とも)に、門外の見は作と評との別をさえ模糊(もこ)たらしめて、他(かれ)は小説家だということになった。何故に予は小説家であるか。予が書いたものの中に小説というようなものは、僅に四つ程あって、それが皆極(ごく)の短篇で、三四枚のものから二十枚許(ばか)りのものに過ぎない。予がこれに費した時間も、前後通算して一週間にだに足るまい。予がもし小説家ならば、天下は小説家の多きに勝(た)えぬであろう。かように一面には当時の所謂(いわゆる)文壇が、予に実に副(かな)わざる名声を与えて、見当違の幸福を強いたと同時に、一面には予が医学を以て相交わる人は、他(あれ)は小説家だから与(とも)に医学を談ずるには足らないと云い、予が官職を以て相対する人は、他は小説家だから重事を托(たく)するには足らないと云って、暗々裡(あんあんり)に我進歩を礙(さまた)げ、我成功を挫(くじ)いたことは幾何(いくばく)ということを知らない。予は実に副わざる名声を博して幸福とするものではない。予は一片誠実の心を以て学問に従事し、官事に鞅掌(おうしょう)して居ながら、その好意と悪意とを問わず、人の我真面目(しんめんもく)を認めてくれないのを見るごとに、独り自ら悲しむことを禁ずることを得なかったのである。それ故に予は次第に名を避くるということを勉(つと)めるようになった。
鹿児島風俗
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2005年12月16日

鴎外漁史とは誰ぞ

福岡日日新聞の主筆猪股為治(いのまたためじ)君は予が親戚(しんせき)の郷人(きょうじん)である。予が九州に来てから、主筆はわざわざ我旅寓(わがりょぐう)を訪(と)われたので、予は共に世事を談じ、また間(まま)文学の事に及んだこともあった。主筆は多く欧羅巴(ヨオロッパ)の文章を読んで居て、地方の新聞記者中には実に珍しいといわねばならぬ人である。昨年彼(かの)新聞が六千号を刊するに至ったとき、主筆が我文を請われて、予は交誼上(こうぎじょう)これに応ぜねばならぬことになったので、乃(すなわ)ち我をして九州の富人たらしめばという一篇を草して贈った。その時新聞社の一記者は我文に書後のようなものを添えて読者に紹介せられた。その語中にこの森というものは鴎外漁史(おうがいぎょし)だとことわってあった。予は当時これを読んで不思議な感を作(な)した。この鴎外漁史と云う称(となえ)は、予の久しく自ら署したことのないところのものである。これを聞けば、ほとんど別人の名を聞くが如く、しかもその別人は同世の人のようではなくて、却(かえ)って隔世の人のようである。明治の時代中ある短日月の間、文章と云えば、作に露伴紅葉四迷篁村(こうそん)緑雨美妙等があって、評に逍遥(しょうよう)鴎外があるなどと云ったことがある。
札幌風俗
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2005年12月12日

時は耶蘇暦千八百八十六年

六月十三日の夕(ゆうべ)の七時、バワリア王ルウドヰヒ第二世は、湖水に溺(おぼ)れて※(そ)せられしに、年老いたる侍医グッデンこれを救はむとて、共に命を殞(おと)し、顔に王の爪痕(そうこん)を留(とど)めて死したりといふ、おそろしき知らせに、翌(あくる)十四日ミュンヘン府の騒動はおほかたならず。街の角々には黒縁(くろぶち)取りたる張紙(はりがみ)に、この訃音(ふいん)を書きたるありて、その下には人の山をなしたり。新聞号外には、王の屍見出だしつるをりの模様に、さまざまの臆説(おくせつ)附けて売るを、人々争ひて買ふ。点呼に応ずる兵卒の正服つけて、黒き毛植ゑたるバワリア※(かぶと)戴(いただ)ける、警察吏の馬に騎(の)り、または徒立(かちだち)にて馳(は)せちがひたるなど、雑沓(ざっとう)いはんかたなし。久しく民に面(おもて)を見せたまはざりし国王なれど、さすがにいたましがりて、憂(うれい)を含みたる顔も街に見ゆ。美術学校にもこの騒ぎにまぎれて、新(あらた)に入(いり)し巨勢がゆくへ知れぬを、心に掛くるものなかりしが、エキステル一人は友の上を気づかひゐたり。
 六月十五日の朝(あした)、王の柩(ひつぎ)のベルヒ城より、真夜中に府に遷(うつ)されしを迎へて帰りし、美術学校の生徒が「カッフェエ・ミネルワ」に引上げし時、エキステルはもしやと思ひて、巨勢が「アトリエ」に入りて見しに、彼はこの三日がほどに相貌(そうぼう)変りて、著(し)るく痩(や)せたる如く、「ロオレライ」の図の下に跪(ひざまず)きてぞゐたりける。
 国王の横死(おうし)の噂(うわさ)に掩(おお)はれて、レオニに近き漁師ハンスルが娘一人、おなじ時に溺れぬといふこと、問ふ人もなくて已(や)みぬ。

西川口風俗
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2005年12月11日

これ唯(ただ)一瞬間の事なりき

巨勢は少女が墜(お)つる時、僅(わずか)に裳(も)を握みしが、少女が蘆間隠れの杙(くい)に強く胸を打たれて、沈まむとするを、やうやうに引揚(ひきあ)げ、汀(みぎわ)の二人が争ふを跡に見て、もと来(こ)し方(かた)へ漕ぎ返しつ。巨勢は唯奈何(いか)にもして少女が命助けむと思ふのみにて、外(ほか)に及ぶに遑(いとま)あらざりしなり。レオニの酒店の前に来しが、ここへは寄らず、これより百歩がほどなりと聞きし、漁師夫婦が苫屋(とまや)をさして漕ぎゆくに、日もはや暮れて、岸には「アイヘン」、「エルレン」などの枝繁りあひ広ごりて、水は入江の形をなし、蘆にまじりたる水草に、白き花の咲きたるが、ゆふ闇(やみ)にほの見えたり。舟には解けたる髪の泥水にまみれしに、藻屑(もくず)かかりて僵(たお)れふしたる少女の姿、たれかあはれと見ざらむ。をりしも漕来る舟に驚きてか、蘆間を離れて、岸のかたへ高く飛びゆく螢(ほたる)あり。あはれ、こは少女が魂(たま)のぬけ出でたるにはあらずや。
 しばしありて、今まで木影(こかげ)に隠れたる苫屋の燈(ともしび)見えたり。近寄りて、「ハンスルが家はここなりや、」とおとなへば、傾きし簷端(のきば)の小窓開(あ)きて、白髪の老女(おうな)、舟をさしのぞきつ。「ことしも水の神の贄(にえ)求めつるよ。主人(あるじ)はベルヒの城へきのふより駆(か)りとられて、まだ帰らず。手当(てあて)して見むとおもひ玉はば、こなたへ。」と落付きたる声にていひて、窓の戸ささむとしたりしに、巨勢は声ふりたてて、「水に墜ちたるはマリイなり、そなたのマリイなり、」といふ。老女は聞きも畢(おわ)らず、窓の戸を開け放ちたるままにて、桟橋(さんばし)の畔(ほとり)に馳出(はせい)で、泣く泣く巨勢を扶(たす)けて、少女を抱きいれぬ。
 入りて見れば、半ば板敷にしたるひと間のみ。今火を点(とも)したりと見ゆる小「ランプ」竈(かまど)の上に微(かすか)なり。四方(よも)の壁にゑがきたる粗末なる耶蘇(ヤソ)一代記の彩色画は、煤(すす)に包まれておぼろげなり。藁火焚(わらびた)きなどして介抱しぬれど、少女は蘇(よみがえ)らず。巨勢は老女と屍(かばね)の傍(かたわら)に夜をとほして、消えて迹(あと)なきうたかたのうたてき世を喞(かこ)ちあかしつ。
沖縄風俗
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2005年12月10日

巨勢はぬぎたる

夏外套(なつがいとう)を少女に被(き)せて小舟(おぶね)に乗らせ、われは櫂(かい)取りて漕出(こぎい)でぬ。雨は歇みたれど、天なほ曇りたるに、暮色は早く岸のあなたに来ぬ。さきの風に揺られたるなごりにや、※敲(かじたた)くほどの波はなほありけり。岸に沿ひてベルヒの(かた)へ漕ぎ戻すほどに、レオニの村落果つるあたりに来ぬ。岸辺の木立(こだち)絶えたる処に、真砂路(まさごじ)の次第に低くなりて、波打際(なみうちぎわ)に長椅子据(す)ゑたる見ゆ。蘆(あし)の一叢(ひとむら)舟に触れて、さわさわと声するをりから、岸辺に人の足音して、木の間を出づる姿あり。身の長(たけ)六尺に近く、黒き外套を着て、手にしぼめたる蝙蝠傘(こうもりがさ)を持ちたり。左手(ゆんで)に少し引きさがりて随(したが)ひたるは、鬚(ひげ)も髪も皆雪の如くなる翁(おきな)なりき。前なる人は俯(うつむ)きて歩み来(き)ぬれば、縁(ふち)広き帽に顔隠れて見えざりしが、今木(こ)の間(ま)を出でて湖水の方に向ひ、しばし立ちとどまりて、片手に帽をぬぎ持ちて、打ち仰ぎたるを見れば、長き黒髪を、後(うしろ)ざまにかきて広き額(ぬか)を露(あら)はし、面(おもて)の色灰のごとく蒼(あお)きに、窪(くぼ)みたる目の光は人を射たり。舟にては巨勢が外套を背に着て、蹲(うずく)まりゐたるマリイ、これも岸なる人を見ゐたりしが、この時俄(にわか)に驚きたる如く、「彼は王なり」と叫びて立ちあがりぬ。背なりし外套は落ちたり。帽はさきに脱ぎたるまま、酒店に置きて出でぬれば、乱れたるこがね色の髪は、白き夏衣(なつごろも)の肩にたをたをとかかりたり。岸に立ちたるは、実に侍医グッデンを引つれて、散歩に出でたる国王なりき。あやしき幻の形を見る如く、王は恍惚(こうこつ)として少女の姿を見てありしが、忽(たちまち)一声「マリイ」と叫び、持ちたる傘投棄てて、岸の浅瀬をわたり来ぬ。少女は「あ」と叫びつつ、そのまま気を喪(うしな)ひて、巨勢が扶(たす)くる手のまだ及ばぬ間(ま)に僵(たお)れしが、傾く舟の一揺りゆらるると共に、うつ伏(ぶせ)になりて水に墜(お)ちぬ。湖水はこの処にて、次第々々に深くなりて、勾配(こうばい)ゆるやかなりければ、舟の停(とど)まりしあたりも、水は五尺に足らざるべし。されど岸辺の砂は、やうやう粘土まじりの泥となりたるに、王の足は深く陥(おち)いりて、あがき自由ならず。その隙(ひま)に随(したが)ひたりし翁は、これも傘投捨てて追ひすがり、老いても力や衰へざりけむ、水を蹴(けり)て二足(ふたあし)三足(みあし)、王の領首(えりくび)むづと握りて引戻さむとす。こなたは引かれじとするほどに、外套は上衣と共に翁が手に残りぬ。翁はこれをかいやり棄てて、なほも王を引寄せむとするに、王はふりかへりて組付き、かれこれたがひに声だに立てず、暫し揉合(もみあ)ひたり。

韓国風俗
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